「売るのは花ではないんだ。」~大槌のトルコキキョウで届けたいものとは~

あけましておめでとうございます!

梅干しを好きになるのが今年の目標のさきです!

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

突然なのですが…

実は私、幼稚園の頃からお花が大好きなのです。そこで年末大槌で、あるお花を栽培・販売されている方にお話を伺ってまいりました。

 

こちらのお花ご存知でしょうか?

トルコキキョウというお花です。かわいらしいですねえ~(*^^*)

こちらのお花を栽培されているのは兼澤悟さん。

 

 

東日本大震災後、

大槌の金沢という山の地域でFLOWER DRESSというブランドを立ち上げました。

https://flowerdress.cc/

 

 

兼澤さんにとっての花とは

 

「きれい」「かわいい」を届けたい。

 

まっすぐな瞳で、そうおっしゃいました。

 

‘モノ’を売るのではなく、

「きれい」だとか「かわいい」という‘気持ち’を売るのが好きなんだ_____

 

 

もともとはアパレル業をされていて、服を通してそうした気持ちを届けていらっしゃった兼澤さんでしたが、東日本大震災をきっかけにアパレル業界から離れ、故郷に帰ることにしました。

 

そこで立ち上げたのがFLOWER DRESSです。

「きれい」や「かわいい」をで届けることにしたのです。

 

必要としているひとへ

 

花を栽培・販売するうえで嬉しいことはなんですか?生き生きとお話しされる兼澤さんについ、聞いてみたくなりました。

 

『FLOWER DRESSのつくったお花がほしい。』

 

 

「そう言ってもらえることがやっぱり、嬉しい。

どの業界でも同じだと思うが、お客さんからそうやって必要とされていることがまずなによりも大事。必要とされていなければ自分たちがわざわざ作る必要もない。

 

 

とまで言い切っていらっしゃいました。

確かに需要と供給のバランス、大事ですよね。

じゃあ、必要とする人ってどんな人なんでしょうか。なんで花って必要とされるのでしょうか。

 

純粋に「きれい」だとか「かわいい」がほしくて花を必要とする人。いると思います。

 

でも、冠婚葬祭のとき盛大に飾られる花って本当に必要なんでしょうか。

兼澤さんははっきりと言いました。

 

 

「なくてもいいんだよ。花は趣味・嗜好品だしね。」

 

 

あ、きっぱり言うんですね。(笑)

お話をお聞きしながら、実は少しばかり衝撃を受けました。

 

 

 

「でもね、

花って贈り物をするその一瞬のために必要なんだよね。

“気持ちを伝えるための手段”としても花を必要とする人へ、僕は届けたいと思う。」

 

 

 

兼澤さんがFLOWER DRESSを立ち上げたばかりのとき、つまり東日本大震災後、気持ちを伝えるための手段を求める人は多くいました。だからしばらくは大槌や釜石を中心に販売なさっていたそうです。

やがてより多くの人の気持ちを伝える手助けをしたいと思い始め、岩手、東北と販売地域を広げていきました。

 

 

 

最強の手段

 

“気持ちを伝えるための手段”としての花、私も使ったことがあります。

母の日に、家事と仕事をこなしてくれるお母さんを尊敬してるよ。そう伝えたくて、尊敬という意味のある紫のカーネーションを母にプレゼントしたとき、母は心から喜んでくれました。きっと花無しじゃこんなにも伝えられなかったです。

花は気持ちを伝えるのに最強の手段だと思わざるを得ませんでした。

 

 

 

農家のプライド

 

“気持ちを伝えるための手段”としての花を必要とする人にも届けたい。

熱い気持ちをお持ちの兼澤さんですが、花の質も大切になさっています。

どんなに熱い気持ちで育てられたものでも、質が良い花でないと残念ですもんね。

 

 

 

花をプレゼントするということ

家族、恋人、友人、日ごろお世話になっている人、自分自身、誰でもいい。

誰かに花をプレゼントすることで「きれい」や「かわいい」、そして気持ちまでもが届けられる。このことに改めて気づくことができました。

 

花は部屋に彩をもたらすだけではなく、人々の心にも彩をもたらす。

 

そう思います。

 

最後になりますが、兼澤さん、年末のお忙しいところ貴重なお時間を割いていただき誠にありがとうございました!

 

https://flowerdress.cc/

 

(文/さき)

 

大槌町民はあったかい~初めて大槌を訪れて~

 

はじめまして!大槌プロジェクトのメンバーの勝俣早紀です!

今回はメンバーになって初めての活動となります。

どうかあたたかい心で読んでください(笑)

 

 

初めて大槌を訪れて

人のあったかさに気付いてしまいました。まず初めに会った、今回泊めてくださるお母さんである八幡さん 。そして八幡さんとともに働いていらっしゃる方のあったかさ。会って早々まず初めに私たち二人の体調を心配してくださるんです。

 

「夜行バスで疲れてない?大丈夫?」って。

(真ん中が八幡さん)

 

お仕事で忙しいのに。その次に大槌町内の地域コミュニティ再生のサポート役の祝田さん、生利 さん。たくさんのことを語ってくれる上に、私たちが渡した些細なお土産に対してお礼とか言って美味しいご飯ご馳走してくださるし、大槌の絶景スポットにどんどん連れてってくださるし、もう優しすぎ!!(笑)それに相談とかお願いとかあったらいつでも連絡してよ?なんてお心強いお言葉いただけて。

 

なーんでそんな私たちにあったかく受け止めてくれるの?って不思議になるくらい。

 

(ご馳走していただいたカツ煮!!美味しすぎました~)

 

大槌の方々のあったかさの秘訣

 それは地元愛、大槌愛だと思います。東日本大震災によって見違えるほど変わり果てた町をまた元のように戻したい。前のようにふつうで、穏やかな生活を取り戻したいと。

 

祝田さん曰く、だから私たちのように外部の人間が大槌町のために力を貸してくれるのが嬉しいのだといいますう。その感謝の気持ちが“義”に従うことによってきっと優しさを生み、そして私たちにあったかさを伝染させてくれる。そう思います。

 

このあったかさを知ってしまったら絶対誰もがこの町のとりこになる。この町の力に少しでもなれたらなって思うようになる。私はそう確信しています。

 

実際、この優しさを知っている町民などは津波で何もかもなくなった土地にまた家を建てています。もちろん事情があって大槌町に戻れない町民もいると思います。でも新しい家がどんどん建てられているのは事実です。

 

戻れない町民がいる原因とは

さっき言ったように、優しさを知っているからまたこの町に住もうと思う住民はたくさんいるはずです。さらに、経営者やリーダー育成プログラムを行っている未来創造塾 に通う大槌町の子どもたちは震災復興で外部から応援にくる人を見て、人に愛される人になりたい。人の助けになりたい。と思い、この町に戻って力になろうと考えているそうです。

 

 

でも、働き口が足りていない。

 

 

 

それが戻れない主な理由です。また、やはり都会で自分の力を試したい、発揮したいと思う若者も少なくありません。でもそれに対して祝田さんはこう言います。

 

 

 

「”自分はそこでどう生きるか”それが重要なのだ」と。

 

 

 

例え地方の会社に就職しても、熱意があれば、考え方が変えられれば、東京に出張することも出来るんだよ。人は能力が1~10、熱意が1~10、考え方が+10か-10。だから地方でもその人次第で満足に仕事ができる。実際に祝田さん自身がそうだったそうです。

 

 

なるほど。

 

 

自分の人生を豊かにするためには、場所にこだわる必要はなく、自分がどう頑張れるのかが大事なんですね。

 

とにかく私は大槌町に一度足を運ぶことをお勧めします。きっと町民のあったかさに心癒されます。

 

初日をあたたかく迎えてくださった皆さん、ありがとうございました!!

 

(文/さき)

『子どもたちのサードプレイス』悲しみを強さに変えるために。~コラボ・スクール大槌臨学舎さん取材~

 

2回目となる大槌町取材。

今回初めて取材させて頂いたのが、

認定特定非営利活動法人カタリバ(認定NPO法人カタリバ)さんの「コラボ・スクール 大槌臨学舎」さんです。

 

こちらは約7年前、被災地の放課後学校として設立されました。

設立当時から現在までの歩みをお伺いしました。

 

カタリバとは?

認定NPO法人カタリバは、どんな環境に育っても「未来は創り出せる」と信じられる社会を目指し、2001年に設立した教育NPOです。

高校生へのキャリア学習プログラム「カタリ場」や被災地の放課後学校「コラボ・スクール」の他、社会課題の変化に伴い、中高生の秘密基地「b-lab」、高校生が地域の課題に取り組む「マイプロジェクト」、教育から地域の魅力化に取り組む「おんせんキャンパス」、困難を抱える 子どもたちに学びと居場所を提供する「アダチベース」といった事業を展開。

一貫して「ナナメの人間関係」と「本音の対話」を軸としながら、予測できない未来の様々な困難を乗り越える力となる「内発性溢れる学びの意欲」を育むことを目的とした教育活動に力を入れています。“

(挿入元リンク https://www.katariba.or.jp/

 

カタリバさんは、子どもたちの教育格差や思春期の子どもたちが抱える将来への不安に関心を持った、代表理事の今村 久美さんが2001年に始められたNPO法人です。

 

大槌臨学舎は、震災で教育の機会を奪われた子どもたちに学びの機会を提供する「コラボ・スクール」事業の一環として設立されたもので、子どもたちの日常に寄り添いながら、学びと居場所を提供しています。

 

 

大槌臨学舎設立のきっかけ

大槌町は町に7校の小中学校があったそうですが、そのうち5校が被災。

残った学校も避難所に使われるなどし、子どもたちが学習する環境としては厳しいものであったと言います。

 

当時は一つの体育館をパーテーションでしきり、授業をしていたような状況だったそうです。

 

また、仮設住宅は建設されていくものの、地域コミュニティが分断され、地域教育の力も弱まりました。震災以前にあった学校や地域の教育環境は失われてしまったのです。

 

そこで、子どもたちが放課後、安心安全に学べる居場所をつくろうと、こちらの校舎が設立されました。

現在は小学3年生から高校生まで約200名ほどの子どもたちが通われていて、

 

大槌臨学舎の「臨む」という字には、

 

「学びに臨む」

「自分に臨む」

「震災に臨む」

 

という3つの意味が込められているそうです。

 

今回の取材では、こちらに勤務されている横山さんにお話を伺いしました。

現在は大槌町にお住まいですが、もともとは横浜ご出身だという横山さん。

2016年に移住をされ、約2年間 こちらでの教育支援に携わられています。

 

今までの勤務上での苦労や体験談をお伺いしました。

 

被災地での教育と復興

「被災地の子どもたちに関わると決まった時、不安はなかったのですか?」

 

「不安はなかったと言ったら嘘になります。でも、震災っていう体験が分からな過ぎたので、沢山情報を拾って知った気になって行くのはやめようと思い、フラットに仕事を始めました

 

「実際に来てみてどうでしたか」

 

一番最初に感じたのは復興はまだ全然終わっていないということです。復興とか言ってるけど、これ10年以内に終わるのかなって思いましたね。実際に、家が建ち始めたのは最近で、僕が来た頃はまだ学校も仮設校舎でした。図書館は一応あったのですが、小学生は利用しているけれど、中学生は気を遣って 行かないような状況で。あ~、復興って何なんだろうって思いましたね

 

「約2年間活動されていて、復興とは何だと思いますか」

 

「復興には2つの面があると思っています。1つ目はハード面。インフラが整備されることや、仮設入居率が0 %になったりすることは必要だと思っています。子どもたちとはまだ『来月新しい家に引っ越すんだよね~』『おめでとう』なんて話す機会もあります。

 

もう1つそれ以外の面として考えられるのはソフト面。建物がどんどん建てられていますけれど、誰が、何のために使うんだっけっていうのを真剣に考えていかないといけないと思います。大槌は人口減少が進んでいるので、復興と地域活性をセットで議論しないと難しい。人の意志が入っていないと、建物が建ったからといって、前より幸せになれたのかというと違うと思います。だから、我々がやっている子どもたちへの教育というのは、そこの基礎をつくっているんではないかなと思いますね」

 

ハード面とソフト面での復興。

後者の基盤をつくる一端を担うのが子どもたちへの教育支援だということなのですね。

 

それでは、その教育支援とは具体的にどういったものなのか、もう少しお話を聞いてみました。

 

被災地での教育支援とは?

「僕らがやっている学習支援の一つの側面はもちろん、一緒に勉強をして学力向上を目指すということなんですけど、僕らが大切にしているのは日々の学習の中で、できた・分かった・応援してくれる人がいるという経験です。小学生時代に震災を経験したために学習習慣を獲得できなかった子もいる中で 、そうした経験こそ重要なんじゃないかなと思っています。学力向上だけを目的に学習支援をしているのではありません。ここが塾と大きく違うところですね」

 

「もう一つはマイプロジェクトという活動で地域活動みたいなことをやっています。2012年に、支援されるだけじゃなくて地域に貢献したいという高校生の声を形にしたものです。経験から学ぶというのはすごく重要なポイントで、コラボ・スクール をつくる時に『震災の悲しみを強さに』というコンセプトを掲げたんですね。 震災という悲しい経験 を強さに変えるには、経験を学びに変えていくプロセスは重要だと思っています。 自分の震災という経験を、どう自分に落とし込んでいくのか、震災が起きた町で生きている自分は何なのかというのを考えていくというところに、カギがあるんじゃないかと思っています

 

子どもたちに寄り添い、「できた」を感じさせてあげる学習支援。

 

悲しみを強さに変えるための、経験から学びを促すプログラム。

 

お話を伺っていて、カタリバさんの子どもたちに寄り添い、共に歩み成長させる教育の姿勢をひしひしと感じました。

 

横山さんが約2年間続けられているワケ

「困難は沢山あると思いますが、やりがいや1番嬉しかったことはなんですか」

 

やっぱり彼らの成長を見られる時ですね。教育ってそもそも、効果が見えづらい ものなので、その中で成長がみえる時はやはり嬉しいです。あとは、こうして高校生が地域で活動して彼ら自身が変容していくと、それを見た大人が勇気づけられている瞬間っていうのが結構あって。子どもたちは純粋なので、地域の問題をズバッと言えるんですよね。それが大人の刺激になっているのを見ると面白いなと思いますね」

「横山さんは外部から来た いわゆる『よそ者』だと思うのですが、だからこそよかったなと思うことはありますか」

 

いい意味でフラットに関われるというところですね。子どもたちにとって、これまでの自分を知らない人たちなので、学校とは違う顔を見せてくれたりします。そうした顔を色眼鏡を掛けずにみられるというところで、子どもたちにとってもいいのではないかなと思っています。その分、僕らもこの顔だけではないことに注意はしていますが、役割分担だと思いますね。子どもたちのサードプレイス(※第3の居場所)になれるという側面はあるのではないかと思っています

(※第1=家庭、第2=学校)

 

学校と家庭では見せられない顔を見せられるという点で、横山さんをはじめとするスタッフのみなさんが、子どもたちのもう一つの居場所になっているのではないかと感じます。

 

大槌で支援をされている横山さんですが、東京の学生に向けてメッセージを頂きました!

 

 

東京の学生へ

「横山さんから、東京で学んでいる学生向けて大切だと思うことは何かありますか」

 

「難しい質問ですね~(笑)一つあるのは、都会では選択肢が多いです。アルバイトをするにも、学校を選ぶにも。だからこそ、選択をし直すということができます。だとするのであれば、何の軸をもって判断するのかというところを考えてもらえたらいいのかなと思います。といっても、選択をする前には正解か分からないので、選んだ後に正解にしていくしかないのですが、自分の軸を持って選択すれば、その後踏ん張れたり支えになれたりするのだと思います」

 

「あとは、現代社会で夢を持つということ自体が難しい世の中になっている中で、僕は夢を持つというよりかは、希望を大切にした方がうまくいくのではないかと思っていて希望学を唱えた先生が、『希望とは、行動によって何かを実現しようとする気持ち』と述べています。これからの​社会は急激に変化していくだろうし、これをやれば成功するということは言いづらい世の中になっていくと思います。そんな社会で、悩みや葛藤、不安を持って生きることを前提とするならば、自分が何かに臨もうとするとき、後押ししてくれるようなものが希望なのではないかと思います

 

 

横山さんの希望とは

「では、最後に、横山さん自身は現在どんなところに希望を感じますか」

 

子どもたちが前向きに学びを頑張ろうとしている姿というのはこの町にとってすごく希望だと思っています。やっぱりね、彼らが大人になった時に町のことなんて…という風になっていたら大槌町はなくなるだろうし。その中で、子どもたちが自分で学び続けようとしている姿は町の希望であるのだと思います。僕は、もっとそういう子どもたちを応援してくれたりだとか、一緒に支援してくれる人たちを増やしたいと思っています

 

 

取材を終えて

震災で奪われた、当たり前にあるはずの子どもたちの居場所。

 

学校でも家庭でも安心して学習できる環境がなかった。

 

そんな時に、大槌臨学舎さんが学習場所としてだけではなく、心の居場所としても子どもたちの支えになってきたことに間違いはないのだと思います。

 

県外から訪れたからこそできること。

子どもたちと向き合うから見える町の未来。

 

震災の悲しみを、希望とともに強さに変える大槌臨学舎さんの活動は、今も続いています。

 

大槌臨学舎さん、お忙しい中取材にお応え頂きありがとうございました!

 

 

伝統を紡ぎ、想いを紡ぎ、人を紡ぐ。 〜大槌復興刺し子プロジェクト〜

 

どーもこんにちは

きゃんちです。

Brightnessで記事書くのは初めましてですね。

 

軽く自己紹介します。

バックパッカーで2年間で13カ国訪問。

旅している中で

「人が輝いているところを発信したい」と思い

Pass onに入りました。今はライター兼カメラマンとして活動しています。

 

 

 

 

岩手県大槌町に来ております。

大槌町で行われている「大槌復興刺し子プロジェクト」を取材して来ました。

 

僕たちPass onは今年の3月にもこの「大槌復興刺し子プロジェクト」

の取材をさせていただいていて

今回は刺し子さんも交えてお茶っこ(集まってお菓子を食べながら話すこと)

をしていただきました。

[embed]http://themoment.bambina.jp/2018/03/10/針と糸で被災地から希望を紡ぐ〜大槌復興刺/[/embed]

 

 

 

 

「大槌復興刺し子プロジェクト」ってなに?

 

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そもそも「大槌復興刺し子プロジェクト」とは...

大槌復興刺し子プロジェクトは、大槌町の避難所から始まりました。

避難所では、男性には瓦礫撤去などの仕事が山積みの一方、女性たちは家事をするための場所もありません。

そんななか、「何かをしたい」という思いからたどり着いたのが、避難所とういう限られたスペースで、

針と糸、そして布さえあればできる「刺し子」の制作でした。

2011年6月、大槌町発、一歩を踏み出した女性たちによるプロジェクトが始まりました。

https://sashiko.jp/

 

 

刺し子というのは震災以前もこの大槌町に文化として

あったらしいのですが、震災が起きてからより注目され

地域の伝統産業になっていきました。

 

 

 

「刺し子はなにも考えなくてもいいから....」

 

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そう語るのは、刺し子さんである、おおさわさん(写真 左)後藤さん(写真 右)

 

大槌町は、町役場など町の機能の大半を失い、町長を含め、1,280名以上の犠牲者を出しました。

当時、避難生活を余儀なくされる方の数は9,000人を超えました。

 

多くの人が家を流され、仮設住宅生活を余儀無くされていました。

精神的に不安定な人も多かったとおっしゃっていました。

 

昨日までご近所さんとして仲良くしていた人が

家が流され、避難所などで、ぶつかり、小さなことでいがみ合い、口喧嘩、、

 

 

「あなたは家が流されなかったから良いわよね」

 

 

お聞きした話の中で印象的でした。

被災した人の中でも家が流されたか、流されてないかで

大きく線引きされてしまうこともあったそうです。

 

 

「だったら家が流されたほうがよかったわ!!」

 

 

思わずこんなことを口走ってしまうこともあったそうです。

 

被災してみんな必死、隣の人を思いやる余裕もない、

 

そんな時に、大槌復興刺し子プロジェクトが始まりました

 

 

「刺し子をしているときは唯一地震のことを

考えなくていいから本当に心が救われたのよ」

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「一針一針、想いをこめて」

 

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刺し子を続けていく上で、精神的に

ゆとりを持つことができたと語る刺し子さん二人。

 

 

「くよくよ生きても、楽しく生きても一緒。だから楽しく生きないと損」

 

 

刺し子は無理なく続けられる、そして一緒の刺し子さんと集まれて

近況報告、コミュニケーションができるのが何より良いと語っていました。

 

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「世界に一つだけ」 メイドイン大槌

 

 

 

「一つ一つ想いをこめて縫っているからね〜」

 

刺し子さんによって縫い目が全部違うので

この世に一つの「モノ」です。

どの縫い目もしっかりしていて耐久性が抜群です。

 

 

そして、その作品を刺した刺し子さんの

顔がわかるようにカードが入ってました。

刺し子さんを身近に感じれるのは良いですね。愛着が湧きます。

 

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肩からかけるとこんな感じ

このワンピースにもあっていて味が出ます。笑

 

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「大槌復興刺し子プロジェクト」のマークが

「打出の小槌」なのもまた可愛いです。笑

 

 

 

紡いでいくということ

 

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大槌町という小さな町で行われている「大槌復興刺し子プロジェクト」

 

この取材を通してこんなにもかけがえのない出会いに恵まれました。

 

刺し子によって人との繋がりまでも広がっていくのです。

 

 

伝統を紡ぎ、想いを紡ぎ、そして人を紡いでくれました。

 

 

僕の知らなかった震災、当時の思い出

そこから紡がれる刺し子、大槌の想い

取材を進めていく上でとても温かい気持ちになりました。

 

 

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こんな僕たちからの取材を快く受けてもらい

もてなしていただき、本当にありがとうございました!

 

 

 

またこの場所に戻ってきたいと思います。

 

 

 

 

この先ずっとこの地で刺し子が紡がれていくことを信じて...

 

 

 

 

(文/きゃんち)

 

 

 

 

 

 

「静かだが、復興は始まっている」〜大自然の中で聞いた大槌町の輝き〜

 

どーもこんにちは!

きゃんちです!

 

 

ゼミで高尾山に登った時に変なポーズをして

周りから浮きまくった時の写真です。気持ちを強く持ちます。

 

 

東北ツアー2日目、個人企画してきました。

僕の個人企画は大槌町の輝き取材」です。

僕は昔、海外で人に夢を聞いて回る「夢集め」というのをしてたことがあって

人が夢を語っているのはキラキラしていて輝いているな〜と思いました。

ということで、それを大槌町で行い、

大槌の輝き、未来を現地の人に聞いてみようと思いました。

 

 

最初は、行き当たりばったりで取材をしようと思っていたんですが、

大槌町に着いた途端に天気が悪いこともあり人がチラホラしかおらず、

街に降り立った時に人の気配がない、

 

 

 

 

 

「このままじゃ取材できないぞ...」

 

 

 

旅人である自分のその場の流れ任せの考えを恨みました。笑

 

 

 

「どうしよう...」と思っていたところ、

同じPass onのメンバーのひなたちゃんが紹介してくれた、

大槌町でコミュニティスペースを運営している方々にお会いすることができました。

 

 

 

個人企画の旨を伝えたら、明日、山歩きをするとのことで、参加させていただくことになりました。

 

 

 

救われた。笑

 

 

 

セミの抜け殻を探しに行くよ!!」

 

 

当日朝8時半から行動開始。

 

 

山歩きを先導してくれたのが

藤原勝志さんという方

林業技師 森林インストラクター 養蜂 のマルチ分野で活躍されていて

20~30年、山について教えているそうです

 

 

 

参加者さんのお子さんも5〜6人いて

現場はとても元気いっぱいな感じ。

 

 

山歩きのコンセプトは

セミを見つけよう」

 

 

 

 

それを聞いた時に僕は

「山歩きなんてしてどうするんだろうな〜」

と率直に思いました(笑)

 

 

流れのままに

子どもたちとセミ探しをすることに

 

 

「ねえねえ!セミの抜け殻見つけた〜!」

 

 

「ミミズあげる!!」

 

 

「木で戦おうよ!!」

 

 

「このキノコあげる!!」

 

 

開始早々、お兄ちゃんはカルチャーショックだぞ!(笑)

 

 

僕は着いて行くのに必死。

なんとか山歩きしながら写真を撮ってました。

 

 

 

1時間後...

 

 

時間が経つにつれて、無意識のうちにセミの抜け殻が

ないか目を見張る自分がそこにはいました。笑

 

 

 

「あ、自然の中にいると落ち着くな」

 

 

素直な感想を心に感じている自分。

 

 

「けど、最初は全然乗り気じゃなかったのにな...?」

 

 

山歩きが終了して

車の中で、心のモヤモヤを藤原さんにぶつけてみました。

 

 

「最初は気持ちが乗らなかったのに、途中からだんだん楽しくなってきちゃって

最後の方は夢中でセミの抜け殻探しちゃいました(笑)」

 

 

藤原さんは優しくこう言いました。

 

 

「山を良いと感じる人は、普段の生活でストレスを感じながら生きている、

毎日頑張って生きている人なんだよ。

山が小さい頃から好きという人は、歳を重ねるごとに山に帰ってくるんだよ」

 

 

確かに僕は昔、山で遊ぶのがとても好きで

よく虫取りなどをしていました。

 

 

「あなたのことを見て、すぐわかったよ。

普段の生活でとても忙しく頑張っているだろ?

そういう人は絶対に山に帰ってくるんだよ」

 

 

「私は30年間、山を教えている。

そして、いろんな人に会うんだ。

昔、国の調査員として働いていたこともあって

取材の依頼をされることも多々あったんだ。

けれど、あまり取材を受けないようにしているんだ

目立つのは山を教える身としてはね...(笑)

山は静かにリラックスするところだからね」

 

 

僕が山を素直に楽しんでいるのを見て

少し取材をさせていただけることになりました。

 

 

 

運が良かった、生死は本当に紙一重

 

 

 

 

地震の時、山にいた。けれど地震を感じてすぐ山を出たんだ。

車で急いで山を下ったが、道路が通れなくなっていて歩いて山を下ったんだ」

 

 

藤原さんは、揺れを感じてただ事じゃないと思いすぐ下山したという。

常にアンテナを立てていることが大事で、アンテナを立てておけば

災害には自然に気がつく。

それを怠った人が多く震災で亡くなられてしまったとおっしゃってました。

 

 

実際、揺れを感じても家から避難しなかった人、

津波はここまで来ないだろうと過信した人が

多く被災されたといいます。

 

 

しかし、藤原さん自身も地震が起こる10~15分前、沿岸部を通っていたらしく、

「運が良かった、本当に生死は紙一重だと思う」とおっしゃってました。

 

 

このままいくと大槌町がなくなってしまう...

 

 

今回の藤原さんに取材している中で僕自身とても考えさせられたのは

 

 

「被災地の中でも復興の地域差がある」

 

ということです。

 

とても当たり前なことなんですが、これを認識できている人がどれくらいいるでしょう?

 

 

「被災地」という言葉でまとめるとわかりやすいのですが

それでは、一地域がどのくらい被災して、復興が進んでいるのか

霞んでしまうのです。

 

 

当時人口1万2千人の小さなこの町では、

1,200人以上の人が 震災によって亡くなりました。

 

死者数は県内で約2割、行方不明者数は県内で約4割を占める割合です。

 

家屋は、県内で最も多い割合で全家屋の約7割が被害を受けました。

 

大槌町は土地柄、町の総面積の2%に満たない

沿岸部の土地に人口の約8割が暮らしています。

 

沿岸部周辺に人口が集中しているの地域がゆえに

より甚大な被害を受けた地域でした。

 

 

震災以降、大槌は産業が衰退しており、若者が働く場がないそうです。

 

 

せっかく魅力のたくさんあるこの街に若者が来ても

産業が発展しておらず、職がないので、移住が難しいのが現状です。

 

 

復興といっても、ただその地域を盛り上げればいいわけではなく

その地域の問題を根本から解決しなければ

町は廃れていってしまうのです。

 

 

 

「静かだが、復興は始まっている」

 

 

藤原さんは、今後の大槌のこと、自分に何ができるか

考え、こうおっしゃってました。

 

「山の方に若者を呼びたい

そして、山で雇用を作りたい

若者をもっと大槌町に呼びたいが、職がない。

ここで大槌の若者雇用を作ることによって

大槌を復興、活性化させる一助になればいいなと思うよ」

 

 

 

 

藤原さんがおっしゃっていた言葉で

特に印象的だったのが

 

「静かだが、復興は始まっている」

 

 

そうなんです。今から復興が始まるんです。

7年経ってようやく今から始まるんです。

 

 

それでも大槌町は輝いている

 

 

僕は大槌町の中でたくさんの輝きに出会いました。

壮大な自然、美味しい海の幸、そして何より温かい現地の人たち

 

 

その輝いている姿はやっぱり皆さんに伝えたい。

 

 

 

僕らは伝えることしかできないから。

 

 

 

 

まだまだ課題が山積み。それでもなお、大槌町はこんなにも輝いているんだって。

 

 

震災から7年経った今、皆さんは「復興」について何を思いますか?

 

 

皆さんが思い描いているほど「復興」とは進みが遅く、そして難しい問題です。

 

 

僕も大槌町を訪れ再度「復興」についてとても考えさせられました。

 

 

僕ができることは「今の大槌町のリアル」を伝えることです。

 

 

この記事を読んで皆さんが再度「復興」について

考えるきっかけになれればいいと思います。

忘れないでください、今から復興は始まるのです。

 

 

(文/きゃんち)

大槌町で感じた人の温かさ、生きる強さとは?農大復耕支援隊に密着!

 

こんにちは!
今回の記事は、ツアー参加者の石川たいせいくんが書いてくれました!

彼が大槌町で感じたものとは??
大学2年生の初の密着取材記事、スタートです!

 

 

こんにちは!

たいせいです。

 

岩手県大槌町に行ってきました。

 

そこで私は、東京農業大学の復耕支援隊さんに密着取材させていただきました。

 

では、なぜ私が復耕支援隊さんに取材をしたのか?

 

その理由を話したいと思います。

 

 

 

東日本大震災から7年経ちました。

 

復興は進んでいるだろう。そう思っていました。

 

皆さんの中にもそう思っている人はいると思います。

 

しかし、このツアーの説明を受けて復興が全然進んでいない事を知りました。

 

 

そこで私は衝撃を受けます。

 

 

「同じ日本なのにどうしてこんなにも違うんだ」

 

 

そこでこんな疑問が生まれてきました。

 

 

「東京と岩手の違いってなんだろう?」

 

 

復興をしているという東京農業大学の復耕支援隊に密着取材させてもらえば何か分かるかもしれない。

 

 

これが今回復耕支援隊さんに密着取材をさせていただいた理由です。

 

 

 

復耕支援隊とは??

農大卒業生・現役生が集まり

継続的な東日本大震災復興支援活動を行う有志団体です。

2014年には大学公式サークルとして、より活動の幅を広げています。

貼り付け元  <http://nodaifukkoku311.fukuwarai.net/aboutus>

 

「農を通じたお手伝い」をコンセプトにしています。

 

復耕支援隊さんの現地での活動は

行ってできることをやる。

のではなく、

「本当に求められていることは何か?」を聞き、それに対して自分たちのできることを話しながら相談して活動内容を決めています。

 

過去の活動内容:プランターを持っていきお花を植える、避難道の整備、苗植えなど

 

また、東京での活動は東京農業大学収穫祭や経堂祭りでのチャリティーグッズの販売をしています。

 

 

復耕支援隊さんは2011年から活動しており今年で7年目になります。

 

 

大槌町ではここ5年くらいを境にボランティアに来る団体が一気に減ってきたそうです。

 

 

そんな中でも復耕支援隊は継続的に大槌町で活動しています。

 

 

なぜ続けられるのか?

 

活動二年目で現在4年生の柿沼ほたるさんに聞いてみました。

 

「被災地と言うと暗いイメージやあまり話してはいけないというイメージがありましたが、支援隊の活動を通して会う人は未来に向かって頑張ろうっていう人が多かったです。自分たちで自分たちの町を何とかしようというエネルギッシュな人達です。だから被災地に支援に行くのではなく、頑張っている人がいるから力になろう。という感じで行きますね」

 

 

柿沼さんは、

将来の展望を話してくださるときにこんなにワクワクしている・未来を楽しみにしている。

こんなにひどいことがあったのに未来を前向きに楽しく生きている姿に惹かれて 現在でも活動を続けているとおっしゃっています。

 

また、大槌町の方は非常に心が温かいところも魅力の一つとおっしゃっていました。

 

 

 

今回の活動内容は

新しく入ってきた一年生の紹介と経堂祭りで販売する商品の相談でした。

 

密着して分かったことは

 

復耕支援隊さんと大槌の方人は

 

強い信頼関係があること

 

 

です。

 

四年生は支援先の方と一年生がなじみやすいように場を和ませたり、話を振っていたりしていました。

そこには先輩の自信と落ち着きがありました。

 

 

一年生が自分たちの顔を覚えてもらおうと手作りの自己紹介カードを作り、支援先の方々みんなに手渡していました。

そこには笑顔があふれていました 。

 

 

支援先の方はご自身の話をとてもご丁寧に話してくださいました。

また、経堂祭りで販売する商品の相談では商品の作り方から特徴まで分かりやすく説明してくださいました。

そこには人の温かさがあふれていました。

 

 

お互いがお互いを想いやり、一緒の歩幅で歩いている。

 

 

そんな風に見えました。

 

だから、家族のような温かい帰る場所や深い絆を感じることができたのでしょう。

 

私もボランティアを何回かしたことがありますが、これほどまでに支援先の方と深い信頼関係で家族のように話せる団体は見たことがありません。

 

今、何かやってみたい。

地元愛の強さを知ってみたい。

第二の故郷がほしい。

 

でも、一歩を踏み出すことができない。

 

そんな方は一度復耕支援隊さんの活動を一度見てはいかがでしょうか?

 

きっと今まで出会ったことのない心温まる活動に出会えるでしょう。

 

復興支援隊のみなさん、ありがとうございました!

 

 

 

 

復耕支援隊さんのホームページです↓

農大復耕支援隊 - ホーム | Facebook

 

https://ja-jp.facebook.com/nodai.fukkou.radish/

 

 

 

 

震災から7年が経つ大槌町で、私たちがもらった“あったかい心”と、目にした“希望”

大槌のお母さん、八幡幸子さんの最初の記事を読んでいただけたでしょうか?

まだの方はこちら↓

http://themoment.bambina.jp/2018/03/18/「ひたすらまっすぐやるのさ。」震災後、約2500人/

 八幡さんのお宅に滞在して、私が感じたことは消化しきれないくらいたくさんあります。八幡さん、全てを包み込んでくれるように優しくて、温かいんです。
感謝以外の言葉が見当たらないくらいに、私たちにくれたものが本当に大きすぎます。

でも、消化しきれないなりにも、精一杯そこで感じたことをお伝えできればとお思います。

 

「おかえり」と「ただいま」

「おかえり~」

この笑顔に迎えられた4日間は、もう「すごく、すごく」幸せでした。

お母さんの顔を見るだけでほっとして、ただいまーって自然に言っちゃうんです。

 

八幡さん、私たちが初日に訪れた時、最初の一言が

 

「おかえり~。濡れなかったか?」

 

でした。初めて訪れたのに、〝おかえり〟

どんな人でもその一言で迎え入れる姿勢に、私たちはびっくり。

 

「は、はい! ありがとうございます!」

 

あんなに広くて「大きな、大きな」心に触れると、人は本当に言葉が出ないんだなあって思いました。

 

そうやって迎えてくれることに、人はとっても安心を感じます。

だから次の日からはもう自然と「ただいま~」って言っちゃう。

 

「おかえり」「ただいま」

 

自然とその言葉が交わされるこの場所は、八幡さんの大きな愛に包まれていました。

 

あったかいごはん

「食べれ、食べれ~」

毎朝毎晩作ってくれるあったかいご飯。

 

(お釜いっぱいのガス炊きごはん)

 

おなかも心も満たされるってこういうことで、優しさがつまったご飯です

「ここきて食べるとみんな太って帰るんよ~」

八幡さんのお家を訪れたことのある人は、皆さんキラキラした笑顔でそういいます。

 

心のこもったご飯は、いくらでも食べられちゃいます。

 

八幡さん、宿泊している人たちの朝ごはんや、そのあと幼稚園や役場に配達するお弁当作りのために毎朝4時からごはんの準備をします。

 

でも八幡さん、それを全く苦に思っていません。

 

「こうやって毎朝はや~くから作るのよ」

「今日はO人分だからこれくらいかな~」

「こうすると見栄えが良くなって食べたくなるでしょ~」

 

そんな風に、楽しそうに話しながら、料理を作ります。

だれかのことを思って楽しそうに料理をする八幡さんの姿がとっても印象的でした。

 

私も朝、お手伝いをさせてもらいました。

(この日は3月11日。追悼式に足を運んだ人たちのために赤飯を包みます。)

 

『お母さん、おいしいごはん本当にありがとうね。また必ず食べにきます。』

 

笑顔のしわ

八幡さん、大きな口を開けてとびっきりの笑顔でよく笑います。

その笑顔に迎えられる人々は自然と笑顔になり、

ほっとして、ここに自分の居場所があると感じます。

 

八幡さんがことあるごとに語るのは人への感謝。

 

「自分の人生は幸せなの。いろんな人との出会いに恵まれて、感謝なの。」

 

何度も優しい笑顔でそうおっしゃっていました。

目元に寄せられたそのしわは、全てが笑顔の時のしわです。

 

 

全てのものを受け入れ、包み込む優しいまなざし。

人を信じ、すべての出会いに感謝する心。

11日をまっすぐに生き、自分の人生が幸せだと語る姿。

 

八幡さんが私たちにくれたものは大きすぎました。

受け止めようとする私の心は追いつかないくらいに。

 

でも私、一つ確信しました。

 

こうして信じられないくらい大きくて、優しくて、温かい心を、

からだいっぱいに受けた時、

人は、自分の中ある温かい心でそれを一生懸命に受け止めるのです。

 

自分の中にある温かい心でその想いに精一杯感謝するのです。

 

 

八幡さんの元に集まる人々はみんななあったかくて、優しい人ばかりでした。

 

人は誰でも温かい心を持っている。

それに素直になれるのは、こうやって誰かから温かい心を受けた時で、

その時、自然と心の輪が広がり、人々が集う。

 

八幡の“お母さん“の広い大きな心を受けて、私の心はそんな風に感じました。

 

「ただいま~」

 

私はきっとまたそうやって八幡のお母さんに会いに行きます。

 

もっともっと、八幡さんのおっきくて優しい心を精一杯受け止めたくて。

 

 

この記事を読んで、あなたの中にある“あたたかい”心で、

何かを受け止めてくれたのなら私にとってこれ以上の幸せはありません。

 

P.S 八幡さんから感じたことは、私の文章では伝えきれません!大槌町に足を運ぶことをお勧めします!(笑)

 

(文/ひなた)