仙台市を訪れて考えた「震災を教訓として残す」ということ

岩手県大槌町を舞台に行ってきた東北取材ですが、その後、私はひとり宮城県仙台市に舞台を移し、大槌町とはまた違った震災の記憶、復興の歩みを目にしてきました。

 

仙台市の中心部はほとんどもう震災があったことなど感じさせません。
高いビルに賑わう商店街。
初めて訪れた仙台はびっくりするぐらい都会でした笑

 

しかし、市街からたった10キロほど行くと、
あの日、津波に飲み込まれた沿岸部があります。

 

私はその記憶がどうやって残されているのか、仙台市がどのようにして復興を遂げてきたのかを確かめるために、

「せんだい3.11メモリアル交流館」と、震災遺構として残されている「荒浜小学校」を訪れました。

 

そこから私が考えた、「震災を教訓として残す」とはどういうことかについて、お伝えしたいと思います。

せんだい3.11メモリアル交流館

こちらは2016年2月、時を経ても災害から命を守れるように、あの日の大震災の記憶と経験を学び、未来につなぐ場としてオープンされた施設です。

メモリアル交流館という名前には、震災を経験した人もそうでない人も、様々な人が関わり続け、それぞれの想いを分かち合う場としてしての意味がこめられているそうです。

 

1階には大きな立体図形があり、あの日被害を受けた地域と震災遺構として残っている施設がカードと共に紹介され、壁のスクリーンには震災の記録が映し出されていました。

 

2階に上ると、常設展示室があり、震災被害から復興への歩みが時の流れを追うように展示されています。

災害の恐ろしさと残酷さ伝え残す写真やコラムと共に、当時の救助の様子や復興への支援の輪などが色わけをされて展示されています。

 

これらの展示は、震災の痛ましい記憶を教訓として私にしっかりと伝えてくれました。また、それと共に、着実に震災を乗り越えてきた過去があるということも私に教えてくれました。

 

展示室の入り口の壁には沿岸地域の大きな地図がありました。
そこにはこの沿岸地域の思い出がたくさん詰め込まれた絵が描かれています。

地図の上から張ってある付箋は、ここを訪れた人がその地の思い出を書き留め、張られたものだと言います。一時は付箋でいっぱいになってしまい、地図が見えなくなるくらいだったそうです。

 

こちらを案内してくださったガイドさんは、この地図を見ながら穏やかな表情で話してくださいました。

 

ピンクの吹き出しで囲まれている所はなくなってしまったものであったり、今はまだ再建中の施設であったりするということ。この道路は今、かさ上げ工事中で工事が終われば沿岸部にサイクリングロードが再びできること。

 

この地図には、津波で流されてしまった施設が確かに刻まれていました。
でもその一方で、この地図にはこの地域の記憶や思い出が、しっかりと残されていました。
なくなったもの、奪われたものを刻むのではなくて、心にある大切な思い出を刻むものとしてこの地図がある、そんな風に感じました。

 

震災遺構 荒浜小学校

場所を移し、震災遺構として残されている仙台市立荒浜小学校を訪れました。

この荒浜小学校はあの大津波が襲った時、320名が避難した小学校です。
津波は2階まで押し寄せ、児童や職員らは3階以上に逃げ、救助を待ったと言います。
(※こちらの建物に避難した方々は全員助かっています。)

その建物が、震災の教訓を伝え残すものとして現在も残っています。

周りの建物は全て流され、広い台地が広がる中で、荒浜小学校は私たちに何かを伝えるかのようにして立っていました。

 

1階と2階には津波が押し寄せた爪痕が痛々しく残っています。

 

机が並び、児童が楽しく給食を食べたであろう教室は、がらんどうで、

あらゆるものが押し寄せ、破壊していった津波の脅威が私たちに言葉を失わせます。

 

2階に置かれていた棚は、津波で浸水した高さでくっきりと線が入っています。

 

「本当にここまで、ここまで津波が来たんだ…」

 

心には悲しいとかそんな感情も湧いてきませんでした。
ただ、茫然と津波の脅威を感じるだけ…

 

4階には、荒浜小学校における地震発生時から避難、救助の様子とともに、荒浜地区の歴史や思い出などがわかる様々な展示がされていました。

この4階を訪れて、私はこの小学校がここに残され続けている意味が分かりました。

 

大きな町のパノラマ。

ほとんど全てが流されてしまった町の模型が、教室の真ん中にありました。
ひとつひとつの旗にはその家に住んでいた人の名前や、そこで生きていた人々の証がしっかりと刻まれていました。

 

 

黒板や掲示板には数々の思い出のメッセージ。

 

人々はこの学校に集まり、地域の思い出や希望を紡ぎあってきたことを証明しています。

この地域で過ごした大切な日々が、この小学校にはいっぱい詰まっているのです。

 

この小学校は確かに震災の痛ましい記憶を後世に残すものでもある。

だけど、それ以上にこの小学校は、
建物や木々は全て流されてしまったかもしれないけど、
確かに存在していた荒浜地区の思い出や記憶を残す、大切な大切なふるさとであったのです。

震災を教訓として残すこと

この2件の施設を通して感じたのは、震災を後世に教訓として伝え残すこととは、ただ単にその被害や悲しみを伝えていくことだけなんじゃない。

 

震災を経験した地域の記憶、そこの場所にあった思い出、そこの場所で生きてい人たちの記憶。それらを忘れないで、その記憶とともに震災を語り継いでゆく。
このことこそが、大切なんだ。

 

震災で失われた多くの命を無駄にしないために、私たちは知り、学び、伝えていかなければならないと改めて思いました。

(文/ひなた)