『子どもたちのサードプレイス』悲しみを強さに変えるために。~コラボ・スクール大槌臨学舎さん取材~

 

2回目となる大槌町取材。

今回初めて取材させて頂いたのが、

認定特定非営利活動法人カタリバ(認定NPO法人カタリバ)さんの「コラボ・スクール 大槌臨学舎」さんです。

 

こちらは約7年前、被災地の放課後学校として設立されました。

設立当時から現在までの歩みをお伺いしました。

 

カタリバとは?

認定NPO法人カタリバは、どんな環境に育っても「未来は創り出せる」と信じられる社会を目指し、2001年に設立した教育NPOです。

高校生へのキャリア学習プログラム「カタリ場」や被災地の放課後学校「コラボ・スクール」の他、社会課題の変化に伴い、中高生の秘密基地「b-lab」、高校生が地域の課題に取り組む「マイプロジェクト」、教育から地域の魅力化に取り組む「おんせんキャンパス」、困難を抱える 子どもたちに学びと居場所を提供する「アダチベース」といった事業を展開。

一貫して「ナナメの人間関係」と「本音の対話」を軸としながら、予測できない未来の様々な困難を乗り越える力となる「内発性溢れる学びの意欲」を育むことを目的とした教育活動に力を入れています。“

(挿入元リンク https://www.katariba.or.jp/

 

カタリバさんは、子どもたちの教育格差や思春期の子どもたちが抱える将来への不安に関心を持った、代表理事の今村 久美さんが2001年に始められたNPO法人です。

 

大槌臨学舎は、震災で教育の機会を奪われた子どもたちに学びの機会を提供する「コラボ・スクール」事業の一環として設立されたもので、子どもたちの日常に寄り添いながら、学びと居場所を提供しています。

 

 

大槌臨学舎設立のきっかけ

大槌町は町に7校の小中学校があったそうですが、そのうち5校が被災。

残った学校も避難所に使われるなどし、子どもたちが学習する環境としては厳しいものであったと言います。

 

当時は一つの体育館をパーテーションでしきり、授業をしていたような状況だったそうです。

 

また、仮設住宅は建設されていくものの、地域コミュニティが分断され、地域教育の力も弱まりました。震災以前にあった学校や地域の教育環境は失われてしまったのです。

 

そこで、子どもたちが放課後、安心安全に学べる居場所をつくろうと、こちらの校舎が設立されました。

現在は小学3年生から高校生まで約200名ほどの子どもたちが通われていて、

 

大槌臨学舎の「臨む」という字には、

 

「学びに臨む」

「自分に臨む」

「震災に臨む」

 

という3つの意味が込められているそうです。

 

今回の取材では、こちらに勤務されている横山さんにお話を伺いしました。

現在は大槌町にお住まいですが、もともとは横浜ご出身だという横山さん。

2016年に移住をされ、約2年間 こちらでの教育支援に携わられています。

 

今までの勤務上での苦労や体験談をお伺いしました。

 

被災地での教育と復興

「被災地の子どもたちに関わると決まった時、不安はなかったのですか?」

 

「不安はなかったと言ったら嘘になります。でも、震災っていう体験が分からな過ぎたので、沢山情報を拾って知った気になって行くのはやめようと思い、フラットに仕事を始めました

 

「実際に来てみてどうでしたか」

 

一番最初に感じたのは復興はまだ全然終わっていないということです。復興とか言ってるけど、これ10年以内に終わるのかなって思いましたね。実際に、家が建ち始めたのは最近で、僕が来た頃はまだ学校も仮設校舎でした。図書館は一応あったのですが、小学生は利用しているけれど、中学生は気を遣って 行かないような状況で。あ~、復興って何なんだろうって思いましたね

 

「約2年間活動されていて、復興とは何だと思いますか」

 

「復興には2つの面があると思っています。1つ目はハード面。インフラが整備されることや、仮設入居率が0 %になったりすることは必要だと思っています。子どもたちとはまだ『来月新しい家に引っ越すんだよね~』『おめでとう』なんて話す機会もあります。

 

もう1つそれ以外の面として考えられるのはソフト面。建物がどんどん建てられていますけれど、誰が、何のために使うんだっけっていうのを真剣に考えていかないといけないと思います。大槌は人口減少が進んでいるので、復興と地域活性をセットで議論しないと難しい。人の意志が入っていないと、建物が建ったからといって、前より幸せになれたのかというと違うと思います。だから、我々がやっている子どもたちへの教育というのは、そこの基礎をつくっているんではないかなと思いますね」

 

ハード面とソフト面での復興。

後者の基盤をつくる一端を担うのが子どもたちへの教育支援だということなのですね。

 

それでは、その教育支援とは具体的にどういったものなのか、もう少しお話を聞いてみました。

 

被災地での教育支援とは?

「僕らがやっている学習支援の一つの側面はもちろん、一緒に勉強をして学力向上を目指すということなんですけど、僕らが大切にしているのは日々の学習の中で、できた・分かった・応援してくれる人がいるという経験です。小学生時代に震災を経験したために学習習慣を獲得できなかった子もいる中で 、そうした経験こそ重要なんじゃないかなと思っています。学力向上だけを目的に学習支援をしているのではありません。ここが塾と大きく違うところですね」

 

「もう一つはマイプロジェクトという活動で地域活動みたいなことをやっています。2012年に、支援されるだけじゃなくて地域に貢献したいという高校生の声を形にしたものです。経験から学ぶというのはすごく重要なポイントで、コラボ・スクール をつくる時に『震災の悲しみを強さに』というコンセプトを掲げたんですね。 震災という悲しい経験 を強さに変えるには、経験を学びに変えていくプロセスは重要だと思っています。 自分の震災という経験を、どう自分に落とし込んでいくのか、震災が起きた町で生きている自分は何なのかというのを考えていくというところに、カギがあるんじゃないかと思っています

 

子どもたちに寄り添い、「できた」を感じさせてあげる学習支援。

 

悲しみを強さに変えるための、経験から学びを促すプログラム。

 

お話を伺っていて、カタリバさんの子どもたちに寄り添い、共に歩み成長させる教育の姿勢をひしひしと感じました。

 

横山さんが約2年間続けられているワケ

「困難は沢山あると思いますが、やりがいや1番嬉しかったことはなんですか」

 

やっぱり彼らの成長を見られる時ですね。教育ってそもそも、効果が見えづらい ものなので、その中で成長がみえる時はやはり嬉しいです。あとは、こうして高校生が地域で活動して彼ら自身が変容していくと、それを見た大人が勇気づけられている瞬間っていうのが結構あって。子どもたちは純粋なので、地域の問題をズバッと言えるんですよね。それが大人の刺激になっているのを見ると面白いなと思いますね」

「横山さんは外部から来た いわゆる『よそ者』だと思うのですが、だからこそよかったなと思うことはありますか」

 

いい意味でフラットに関われるというところですね。子どもたちにとって、これまでの自分を知らない人たちなので、学校とは違う顔を見せてくれたりします。そうした顔を色眼鏡を掛けずにみられるというところで、子どもたちにとってもいいのではないかなと思っています。その分、僕らもこの顔だけではないことに注意はしていますが、役割分担だと思いますね。子どもたちのサードプレイス(※第3の居場所)になれるという側面はあるのではないかと思っています

(※第1=家庭、第2=学校)

 

学校と家庭では見せられない顔を見せられるという点で、横山さんをはじめとするスタッフのみなさんが、子どもたちのもう一つの居場所になっているのではないかと感じます。

 

大槌で支援をされている横山さんですが、東京の学生に向けてメッセージを頂きました!

 

 

東京の学生へ

「横山さんから、東京で学んでいる学生向けて大切だと思うことは何かありますか」

 

「難しい質問ですね~(笑)一つあるのは、都会では選択肢が多いです。アルバイトをするにも、学校を選ぶにも。だからこそ、選択をし直すということができます。だとするのであれば、何の軸をもって判断するのかというところを考えてもらえたらいいのかなと思います。といっても、選択をする前には正解か分からないので、選んだ後に正解にしていくしかないのですが、自分の軸を持って選択すれば、その後踏ん張れたり支えになれたりするのだと思います」

 

「あとは、現代社会で夢を持つということ自体が難しい世の中になっている中で、僕は夢を持つというよりかは、希望を大切にした方がうまくいくのではないかと思っていて希望学を唱えた先生が、『希望とは、行動によって何かを実現しようとする気持ち』と述べています。これからの​社会は急激に変化していくだろうし、これをやれば成功するということは言いづらい世の中になっていくと思います。そんな社会で、悩みや葛藤、不安を持って生きることを前提とするならば、自分が何かに臨もうとするとき、後押ししてくれるようなものが希望なのではないかと思います

 

 

横山さんの希望とは

「では、最後に、横山さん自身は現在どんなところに希望を感じますか」

 

子どもたちが前向きに学びを頑張ろうとしている姿というのはこの町にとってすごく希望だと思っています。やっぱりね、彼らが大人になった時に町のことなんて…という風になっていたら大槌町はなくなるだろうし。その中で、子どもたちが自分で学び続けようとしている姿は町の希望であるのだと思います。僕は、もっとそういう子どもたちを応援してくれたりだとか、一緒に支援してくれる人たちを増やしたいと思っています

 

 

取材を終えて

震災で奪われた、当たり前にあるはずの子どもたちの居場所。

 

学校でも家庭でも安心して学習できる環境がなかった。

 

そんな時に、大槌臨学舎さんが学習場所としてだけではなく、心の居場所としても子どもたちの支えになってきたことに間違いはないのだと思います。

 

県外から訪れたからこそできること。

子どもたちと向き合うから見える町の未来。

 

震災の悲しみを、希望とともに強さに変える大槌臨学舎さんの活動は、今も続いています。

 

大槌臨学舎さん、お忙しい中取材にお応え頂きありがとうございました!