「人として、本物の椎茸を作りたい。」 ~唯一大槌の山奥で本物の椎茸を作り続ける、兼澤さんの下を訪ねる~

冬のお鍋にはいうまでもなく、1年中を通して愛されるきのこ、椎茸。

 

小さい頃、椎茸の食感がどうしても苦手で欠片ですら口に入れられなかったが、いつの日 からかそんな苦手もなくなり、筑前煮などに入っていると喜んで真っ先にはしを伸ばす。

 

しかしそのようにして1年中私たちがスーパーで手に入れる椎茸は、菌床栽培で人工的に育てられたものがほとんどだ。

 

菌床栽培というのは、おが屑を使って作られた培地に、人工的に肥料を与えて1度にたく さんの椎茸を取れるようにできた栽培法のこと。

 

最初に言っておきたいのだが、この記事は決して菌床栽培を非難するものではない。
菌床栽培は人々が食べたいときにいつでも椎茸を食べられるようにするためにあるもので、 私たちの食を支えてくれる重要な役割を果たしてくれている。

 

ただ岩手県大槌の山奥の金沢という、かつては原木を使った椎茸栽培が盛んだった地にお いて今も原木椎茸の栽培を続ける若い農家さんがあると耳にした為、 気になってその地を訪ねてきた。

 

原木椎茸の作り方を知る

雪も残り冷たい風が辺りをつつまれていく中、古民家から一人の若い男性が笑顔で迎えてくれた。

この方が、金沢に残る数少ない原木椎茸の農家さんの一人、兼澤悟(かねさわさとし)さん。

 

冷たい風の中、早足でビニルハウスに案内されるままについていくと、ビニルハウスの中 は外よりも暖かく、そこに直径10センチほどの原木がずらっと並べられていた。

(↑ずらっと並べられた原木。所々穴から小さな椎茸が顔を覗かせている姿が愛らしい。 )

 

よく見てみるとそれぞれの木肌中 にたくさんの穴が空いていて、それぞれの穴の中になにやら白いものがみっちりと詰め込まれていた。そのため木は焦げ茶色い木肌に白い水玉模様が。

 

「それは椎茸の菌だよ。自分たちでドリルでコナラの木に穴をあけて、その中に手作業で 菌を詰めていくんだ」

 

 

白い水玉模様になった木を不思議に思って見つめていると、兼澤さんがそう教えてくれた。他の木には、所々小さな椎茸の赤ちゃんがポコポコと顔を出していて、何だかちょっとかわいい…

原木椎茸の栽培は、菌を入れてもすぐには椎茸は生えない。
まず1年かけて菌に木を食べさせ、原木に菌を蔓延させ、キノコがちゃんと生えることができるように準備をしてあげる。

 

菌を植え付ける季節としては、もし外の環境で栽培するとしたら椎茸は春と秋の年に2回が収穫時期になるのだけれど、それに合わせて春に菌が生えるものは、その前の年の1~2月に菌を植え付ける。

 

キノコが生える仕組みとしては、植えられた椎茸の菌が暖かい時期、梅雨の時期、寒い時期、そしてまた暖かい季節を通して感じとってからやっと『菌はまた春がきたなあ、そろ そろ生える時期だぞ…!』となり、原木から椎茸がポコポコと生える。

 

兼澤さんのところの原木椎茸は、最初は1年をかけ原木に1度菌を蔓延させた後、ハウス や水槽を使うことで年中を通して変化する気温、湿度を全て再現し、40~60日のごと に繰り返し収穫をすることができる。

 

 

具体的には、ビニルハウスで気温の変化の調節をしてまずは1度椎茸を収穫した後の原木にしっかりと菌が蔓延できるようにする。その次に原木を水に入った水槽に24時間沈める事で、梅雨の湿った時期だと思わせる。そして今度は秋の環境を作り出すために15℃の環境を作り、そろそろ菌ができる時期になることを知らせる。そうしたらまた20℃くらいの環境を作り出し、『春』を作り出す、といった管理をするのだそう。。 。

 

 

「特にこの金沢の地域は、日照時間が長いから、昼間はビニルハウスの中もポカポカ温かくなりやすいんだよ。ここで原木椎茸の栽培をするのには、ちゃんと理由があるんだ。」

 

 

兼澤さんが笑顔でそう教えてくれた。

 

ハウスの中には2000本ほどの原木があり、それぞれに同じようにたくさんの穴が空いている。 聞くと、原木の太さでその開ける穴の数も違うようだった。

 

触ってごらん、と言われるがままに白い菌の部分を触ってみると、発泡スチロールに似て、 少し弾力がある。きのこの菌って触るどころか初めて見たけど、こんな感じなんだなあ。

こんなにたくさんの穴を、しかもこんなにたくさんの木にあけていくなんて。。。

 

それを手作業でやっていくのだから、、、きっと大変に違いない。

 

 

「そう、これは骨の折れる仕事なんだ。だからお年寄りの農家さんではなかなかやっていけない。 昔は金沢にもたくさんの原木椎茸の農家さんがいたけれど、高齢化の問題もあって、このように大変な作業の体力的な限界からどんどん減っていってしまったんだ。

 

 

震災後、次々と立ちはだかる問題

高齢化の問題だけではない。

 

木を使う原木椎茸の栽培と林業は、大きく関わってくる。

 

「今では農業人口だけでなく、林業をする人も減ってきてしまってね。
かつては原木椎茸の農家さんが林業もしていて、自分で木を選んで切ったものを使っていたんだ。自分も、父が亡くなる前は自分たちで地域の原木を切りに行っていたんだ。

 

でも、父が亡くなったことに加え、木を切っている1~2ヶ月は他のことをできず収入が入ってこないから、いい原木が取れるとしても自分たちが林業までするのは経営面でなかなか厳しくて。今は、自分は山に入らないで木は購入したものを使ってる。

 

ただ、この原木は地元のものなのだけど、他の原木椎茸農家さんは福島が産地の原木をよく使っていて。その方達は震災後に原発事故の問題で林業の人も自由に木を切ることができなくなて、太くて良い原木が手に入りづらくなってしまったんだ。

 

原木も使い続ければ体力が無くなってくたびれてしまうから、少しの間使わずに休ませてあげる。そうやって繰り返し使えるけど、やっぱり限界はあるからね。他の原木農家さん もきっと大変だと思う。

 

こうやって、高齢化や原発事故の問題も重なって、とても厳しい状況にある。でも僕のところが原木椎茸の栽培をやめてしまえば、更に金沢から椎茸の原木栽培はなくなっていってしまう。」

 

兼澤さんが少し悲しそうに言った。

 

それでも続ける理由

 

でも、兼澤さんは、どうしてそこまでして原木椎茸の栽培を続けようと思うのだろう?

 

そう尋ねると、

 

「今の日本の椎茸の9割程が、ブロックにしたおがくずを土台に使った菌床椎茸で、おがくずだけでは栄養が足りないから、そこに栄養剤や人口的な肥料が使うんだ。

 

原木椎茸は昔ながらの製法で、木の栄養だけで育つけど、そうやって僕らは自然に近い状態で育った『本物の椎茸』を食べたてもらいたいし、 人としてそういうものを作って残していきたい。

 

 

人間は本来、そういったものを食べてきたからね。

 

人は食べるものが変わると性格も変わる。

 

 

ジュースをあげてみるとわかるけれど、あれは何からできている?食品ではなく、人工物 だよね。天然のものを食べるのか、人工物を食べるのか。僕らは口に入るものとして、自然のものを食べて欲しいんだ。

 

 

でも、と兼沢さんは続けた。

 

 

「菌床椎茸も少し人工物に近いけれど、悪いわけでない。菌床椎茸のおかげで、しいたけを食べたいときにすぐにスーパーなどで簡単に手に入れることができる。食べたいときに食べられないって、1番悲しいでしょう?そのための菌床栽培なんだ。」

 

 

どっちがいいというものはない。

 

 

原木栽培には原木栽培の、菌床椎茸には菌床椎茸の役割がある。 菌床栽培があるから、椎茸を食べたいっていう人に、いつでも椎茸が届く。 そして、原木椎茸には原木椎茸の役割がちゃんとある。

 

 

ちゃんとしたものを食べたい、本物を食べたい。そんな人たちに届けたい。

 

 

その一心で、 兼澤さんは原木椎茸を作り続ける。

 

兼澤さんは、原木椎茸を大切にしながらも、むやみに菌床栽培を否定したりはしない。それぞれの食べ物にそれぞれの役割があるという考え方は、作物の遺伝子組換えや、農薬にも通じることが言えるのでは無いかと思った。

 

ちゃんとそれぞれ、役割があって農薬が生まれたし、遺伝子組み換えがある。

 

「そこにそれがある意味」はちゃんとあって、兼沢さんはそこもちゃんと理解されている方だった。

 

兼澤さんはその上で、ちゃんとしたものを食べたい、本物を食べたい。そんな人たちに届けたいというその一心で、今日も大槌の山奥で原木椎茸を作り続けている。


(↑原木を愛おしげに見つめながら椎茸について語る兼澤さん )

 


(↑シイタケの原木を、水槽に沈め、梅雨が来たことを錯覚させる。 雪が積もって、原木を見ているだけでもとても寒そうだ。 )

 

兼澤さんの椎茸に関してはこちら↓

https://mikone.jp/

 

(文/すわ)