「目の前に広がる、矛盾にも近い現実」東日本入国管理センターに行って来た。
前回の記事では、外国人の受け入れと収容の問題について考えました。
今回は、実際に私が、東日本入国管理センターを訪れ、
収容者の方と面会して感じたことについて書いていこうと思います。
東京から電車に揺られること約1時間半。
牛久駅に到着すると、さらにそこからバスで30分。
朝の澄んだ空気が気持ちいい、そんな田舎に入国管理センターはありました。
施設に近づくにつれ、現実を見ることに対する不安のような、緊張のような、
もやもやとした気持ちを感じながら足を進めました。
バス停から少し歩いて見えてきたのは、「冷徹さ」さえ感じる東日本入国管理センター。
施設内は撮影不可。なんとも言えない重い雰囲気を感じながら、面会受付に向かいました。
私たちが訪れたのは午前中の早い時間だったこともあり、面会申し込み者は少なく、スムーズに面会手続きができました。
ちなみに、品川にある東京入国管理局を訪れたことのあるメンバーによると、
品川は午前中でも面会希望者が多いらしく、
牛久の施設は都心から遠いために面会希望者が頻繁に来ることは難しいのではないかと話していました。
待合室には、面会や差し入れに関する様々な規定が書かれた紙が貼ってあります。
差し入れは、お菓子は不可で、すでに調理されているレトルト食品のようなものでなければならない、とか、日本語による内容表示のあるものでなければならないとか。
おそらく収容者の家族であろう方が、ボディソープや洗剤の差し入れをしていましたが、受付では物品に関するチェックが行われているのを見ました。
重いドアの先に
少し待つと、「5番の方どうぞ―」と呼ばれ、防火扉のような重たいドアで仕切られた部屋に通されました。
入室前にはメモ用具などを除き、すべての荷物をロッカーに預けます。
その部屋からさらに鉄でできた重たい扉を開け、面会室に通されました。
その雰囲気はまさにドラマなどでイメージする刑務所。
日々の生活では感じることのない独特な雰囲気に一種の息苦しさを感じながら、
今回お話してくださることになったEさんを待ちます。
『何を聞いていいんだろう。何を話したらいいんだろう。
私たちがこうして話を聞きに来るのは不快ではないだろうか。
会ったところで、所詮私は何もできない。』
そんなことをぐるぐると考えました。
ガチャ。
キーッという音とともに扉が開いて、Eさんが優しそうな笑みで現れました。
指一本触れられない分厚いガラス板越しに手を合わせ、挨拶をします。
「こんにちは~。今日は会ってくれてありがとうございます。」
そんな普通の挨拶。普通のやりとり。
だけど、なんか変。なんか違和感。
同じ空間にいるはずなのに、その一枚のガラスでしきられた先の世界は、私たちの世界とは完全に別世界。たった一枚のガラスが、無情にもそんなことを感じさせます。
お互いに簡単な自己紹介をし、彼が収容されるまでの経緯やここでの生活などを伺いました。
Eさんはタンザニア出身の30代男性。もともとはボーイスカウトで日本にやってきたそうで、もう15年くらい日本に住んでいたが、数年前にオーバーステイになってしまい、それからこちらの施設に収容されているという。彼には日本人の妻と子どもがいて、家族は神奈川県に住んでいるそうです。(このお話を聞く限り、彼は難民ではないようです。)
私たちは、彼にここでの生活はどうか、聞きました。
決まった時間にしか外出は許されず、自由に食事を取ることもできない、圧倒的に拘束された生活の中で、彼は何を感じ、何を思うのだろうと。
予想と反して、返ってきた答えに、不満は少しもありませんでした。
「食事は気にしない。世界には飢えて死んでしまう子もいるけど、私は食べられる。もちろん家族とは一緒に暮らしたいが、神様は自分の経験のためにここに入れたんだ。私は、心は自由だから心配することはない。」
彼は敬虔なクリスチャンで、毎日大半の時間を、聖書を読んで過ごすと言います。
『私は、心は自由。だから、心配なことはない。』
彼はこれを何度も繰り返していました。心が自由なら、自分を信じられると。
全てが現実。
彼と面会を終え、感じたこと。
私は、現実をあまりにも知らなすぎる。
そこに広がっていた現実はあまりにも複雑で、その現実に対して私はどう向き合うべきなのか、分かりませんでした。彼がオーバーステイになってしまったのは事実。
その背景にどういう理由があって、そうなってしまったのかは分からないけれど、収容されなければならない現実は確かにある。
だから、彼を助けるために叫ぶことが正当なのかわからない。
でも一方で、私たちを笑顔で受け入れ、話してくれる彼が目の前にいる。
これもまぎれもない現実。
そんな彼が、私たちと全く別の世界に生きなければならない理由は、私には分からない。
どうしたらいいんだろう。
目の前に広がる、矛盾にも近い現実は、私には複雑すぎました。
(文/ひなた)